「こころ」の行方(後編)

隅田翔鷗・

図書館は午前八時に開く。
 亮太は開館時間前から入口に立っていた。

 まもなく新任の司書が現れ、亮太の顔を見ると軽く会釈した。

「今、暖房つけるから少し待っててね」

「ありがとうございます」

 司書は前任者から亮太の話を聞いているらしかった。
 元気にしているか、心配していた、と。

 亮太はそれを聞いて、胸の奥がわずかに温かくなるのを感じた。
 尊敬できる大人が、自分の存在を覚えている。それだけで、ここにいていい気がした。

「前の先生も、大変だったのよ」

 司書は独り言のように言った。

「目の前で生徒に死なれて、監督不行き届きだって。慣れない部署に回されて……」

 公務員なんてそんなものよ、と付け加えて、暖房のスイッチを入れた。

 沈黙が落ちた。
 亮太は、話題を変えるように言った。

「落とし物入れ、だいぶいっぱいですね」

「そうね……まだ処分は決めてないけど」

「よければ、捨てておきましょうか。分別して」

 司書は少し考え、頷いた。

「時間あるならお願いできる?」

「はい」

 亮太は落とし物入れを抱え、ゴミ庫へ向かった。

 中には、相変わらず雑多なものが詰まっていた。
 筆記用具、ハンカチ、ピアス、栞、靴下、電卓、そろばん。
 さらにその下には、ヘアゴム、口紅、ネジ、爪切り、プリントシール……。

 亮太は黙々と仕分けをし、最後に空になった箱を見下ろした。

 ――これでいい。

 そう思った。

 放課後。
 亮太はいつもの席で本を読んでいた。

 そこへ、彩花と、あの三人組が現れた。

「全然、ないんだけど」

 彩花は苛立ちを隠さず言った。

「昨日あれだけ語ってたくせに、何間違えてんの」

 三人組の一人が嗤った。

「間違ってない」

「じゃあどこだよ」

 頭を叩かれた。
 亮太は眉をひそめたが、声は荒げなかった。

「探してる本が違うだけだ」

「図書館中の『こころ』を借りた。全部外れ」

「角谷さんは、本をあまり読まない? 」

 彩花は怪訝そうに頷いた。

「鍵になる本は、君がすでに持ってる本じゃなきゃおかしい」

 亮太は淡々と続けた。

「追加で本を探しに行く余裕はないはずだ」

 苛立つ三人をよそに、亮太は鞄から教科書を取り出した。

「現代文B」

 彩花は、しばらくそれを見つめた。

「……教科書?」

「誰でも持ってる。しかも短編集形式で、二段組みだ」

 亮太はノートを開いた。

「暗号、解こう」

 彩花は教科書をめくり、数字を拾い始めた。

「……『お』『と』『し』……」

 拾われた文字を、亮太は無言で書き連ねる。

 最後に残った言葉は、

「おとしものいれ ももいろめもり」

「落とし物入れ! 」

 四人は一斉にカウンターへ走った。

 しかし、そこは空だった。

「ふざけるなよ! 」

「今朝、先生が捨てたのを見た」

 亮太は静かに言った。

「証拠は? 」

 亮太は図書委員に断り、台帳を出してもらった。
 そこには、はっきりと書かれていた。

――USBメモリ(ピンク色)

「嘘でしょ……」

 彩花の声は力を失っていた。

「ゴミ庫なら……」

「今日は不燃ゴミの日だ」

 亮太はそう言って、目を伏せた。

「少なくとも、生きてる人間は助かる」

 彩花は叫んだ。

「裏切りも手段なの!  生きるために! 」

「否定しない」

 亮太は答えた。

「ただ――」

 呼吸置いて、続けた。

「図書館には、そんなもの持ち込まないでくれ」

 彩花たちは何も言わず、去っていった。

 帰宅後、亮太は畳に寝転び、天井を見つめていた。

 友達を欲しがるから苦しくなる。
 欲しなければ、誰も傷つかない。

 ポケットの中で、硬い感触がした。

 ピンク色のUSBメモリ。

 亮太はすでに暗号を解いていた。
 証拠も、見ていた。

 そこには、彩花がいじめに加担している記録も残っていた。

 なぜ桃子は、彼女に暗号を託したのか。
 亮太には分からなかった。

 分からなくていい、とも思った。

 彼はUSBを掌で転がしながら、思い出していた。

――あなたは覚えているでしょう、私がいつかあなたに、造り付けの悪人が世の中にいるものではない事を。多くの善人がいざという場合に突然悪人に……

 亮太は目を閉じた。

 生き延びるとは、そういうことだ。