作者:隅田翔鷗
本作は、作者が過去に個人サイトにて公開していた短編作品をもとに、文藝阿不羅掲載にあたり再編集を行ったものです。
本作の著作権は著者本人に帰属し、文藝阿不羅は掲載および編集に関する権利の許諾を受けています。
掲載にあたっては、構成調整および表現の整理を目的として、生成AIを用いたリライト・編集作業を行っています。
一
巨勢好古は、独り自嘲の笑みを漏らした。伯爵の身で金のために人を殺すからだ。好古はデスクの抽斗を開け、二重底の蓋を外し、油紙の包みを取り出した。包みの中には回転式の拳銃があった。好古は弾倉の全てに実弾を込めた。前日に、小切手で購入したものだった。
その刹那、ドアがノックされた。執事の園部だった。好古は入室を許可した。
「御前、新田が来ております」
園部は報告した。
「応接間に通せ、今行く」
好古は、先ほどとは違う抽斗から封筒を取り出し、応接間へ向かった。
応接間のドアを開けると、新田吉蔵が着座したまま一瞥をした。好古は、黙ってソファーに着座した。先に口を開いたのは、新田であった。
「御前さま、今月の分を回収しに参りました。」
好古は手に持っていた封筒を、新田に手渡した。新田は封筒の中身を覗いて、それから中身を取り出した。新田は指に唾をつけながら、紙幣を一枚一枚数えていく。この金は、巨勢家の世襲財産から出る利子から出ていた。
「足りませんなあ。利子にもならない」
「……」
「お公家さんなら、骨董品か何かあるんじゃありませんか? 」
「ほとんど売り尽くしている。先月だって、車を売った。運転手にも暇を申しつけた。」
「ならば、この家があるじゃありませんか」
「私たちの住むところがなくなるではないか」
好古はとぼけた。新田は、好古の断りもなしに卓上の煙草に火を付けた。二つ、三つほど煙を好古の前で吐いた。
「ならば、例の話を進めてもよろしゅうございますか? 」
「もう少し待ってくれてもいいじゃないか」
「ご検討もして頂けないのに、待たなくてはいけないのは、それは虫が良すぎやしませんかね」
「あと一週間」
「三日」
しばし、二人は睨み合った。だが、この勝敗はすでに決していた。
「相分かった」
新田は、煙を一つ宙に吐いた。
二
明治という時代に入り、これまでの制度に終止符が打たれた。公家や大名は領地を天皇に奉還し、その代償に公債を受け取り、皇室の藩屏として四民の範となる華族となった。しかしながら、領地が一万石以上ある大名とは違い、公家が持っていた領地は多くとも三千石である。数年、数十年もすれば、没落した公家華族も多かった。
巨勢家は江戸時代まで、家禄百石を有する公家だった。決して世人の語り種になるほど裕福な生活ではない。好古の父は藩閥を超えた付け届けを投じて、見栄を張って東京に洋風の家屋敷を建てた。大して財産もないのに、蔵まで建てた。扉を閉めれば音が全く出ないほど頑丈で、外側は大きな南京錠で閉じるという実態の伴わない性能を持つ蔵だった。
父の江戸っ子への見栄のために費やされる浪費により、内情は常に火の車だった。家を守るために父は、財閥の娘を莫大な持参金と共に好古の妻に迎えた。
そんな好古が起死回生を狙って行ったのが、投資だった。日清、日露両大戦の大戦景気に乗じて投資を行い、かなりの利益を巨勢家にもたらした。書画骨董、車、そして妾を囲った。
しかし、事態は一変。ある土地の購入を持ちかけられた好古は、その土地を買うために借金をした。その土地は、近く鉄道の延長工事が行われるとのことで高騰は必至であると、ある男に唆されたものだった。その男は以前から好古の投資の指南役をしていた男で、彼に金を預ければ、好古の懐が潤った。罠はそこから始まっていた。男は他人の土地を自分の土地だと偽って、好古に売りつけた。好古だけではなく、他の華族にも同様の手口で売りつけていた。男は長期間にわたり、華族たちとの信用を築き、最後の最後に金をだまし取ったのだ。
好古に残ったのは、莫大な借金だった。
貸主は高利貸し・新田吉蔵。自称・華族御用達の高利貸し。事実、手元不如意な華族たちの駆け込み寺だった。新田吉蔵は高位の華族を高い金利で借金漬けにして、その債権をちらつかせて、娘を取り上げていた。しかし、遊郭に売り飛ばすわけでも、自身の妾にするわけでもない。債務者の華族に、縁談を持ちかけるのだ。
時代の潮目には、下剋上が起きやすい。富者を貧者に変え、貧者を富者に変える。突如として財を成した者が次に欲するのは、名誉だ。そこで自身の息子に良家の令嬢を迎えて、家に箔をつけようとした。そんな需要に応えたのが、新田吉蔵だった。債権者の立場を利用して華族の娘を周旋し、その手数料で儲けていた。
彼が狙っているのは、好古の娘・鏡子だった。鏡子は、「今小町」ともてはやされるほどの美人で、新田が周旋した縁談相手である九州の炭鉱主の耳にも届くほどだった。
「いいじゃございませんか。九州に遣っても」
好古の後妻・貞子が夕食の席で言った。鏡子の実母である。貞子はやはりさる財閥の娘で、困窮する巨勢家に莫大な持参金とともにやってきた。
「父も申しておりました。石炭は我が国の基幹産業で、この縁で炭鉱とつながりが持てるのはありがたいと。どうか私のためと思って、新田の申し出を受けてくださいませ」
好古は、しばらく黙った。そして「鏡子はどうなんだ」と、尋ねた。
「この子は承諾しております。」
「鏡子に聞いておるんだ」
好古の強い口調に、貞子は黙った。鏡子は好古の方を、しっかりと向き直した。
「お父様に従います。」
貞子は、ほら見たことかというような顔をした。
「そうか」
と好古はつぶやいた。
巨勢家は、貧乏華族とはいえ他所と比べれば贅沢な方だった。執事と女中がいる。車を持っていた時は、専属の運転手がいた。体裁を整えるために銀製の食器を今も用いている。九州との縁談でどこまで家を保つことができるのか、と好古は考えていた。しばしの沈黙が流れ、銀食器が皿に当たる音だけが、その場にいる者の耳に届いている。
好古は、鏡子の方をちらりと見た。案の定、舟をこいでいた。必死に耐えているが、どう見ても眠りかけている。横にいる貞子が気づいた。
「これ鏡子」
驚いた拍子に、鏡子が銀食器を落とした。
「あら、ごめんなさい」
「はしたない。食事中に居眠りをするなんて」
ハハハと、好古は笑った。思惑通りである。
「疲れているのだろう。家族の前だからいいじゃないか」
「いけません。ご縁談相手の前でこのような粗相があっては」
「お前、今日は休んだらどうか」
「はい、そういたします」
鏡子は女中に連れられて、自室に戻ろうとした。
その時、大きな衝撃音が鳴った。銃声ーーこの時代、誰もが経験したことのある音だった。
三
「災難でしたね」
高砂顕房侯爵が、巨勢家で起きた災難について案じた。好古は畏まり、頭を下げた。頭を上げた時、顕房の顔を確認した。「今源氏」ともてはやされる理由が分かった。西洋人並みの体格、後ろに撫でつけられた烏の濡れ羽色の髪、輪郭は細面で、目は大きく切れ長、鼻梁が通っていて端正な顔をしている。
「いやいや、とんでもない。わざわざ高砂侯においでいただき、ありがとうございます」
「ともに藤原の裔ではありませんか。お気になさらず」
高砂顕房は26歳。好古とは30も下だった。およそ名家というものは家柄で礼儀作法が決まる。
御一新前後も格下である巨勢家は、いかに年下であっても顕房に礼を欠いてはならなかった。さらに顕房は、宮内省宗秩寮に務める人物だった。宗秩寮とはいわば華族の監察を担う部署で、ご宸襟を悩まし奉る不届きな華族の生殺与奪の権を握っていた。ゆえにひたすら礼を厚くしなければならなかった。
そして、この今源氏と対決しなければならない。
今源氏こと、顕房は窓に近づき庭を眺めた。
「お庭も立派で」
「さしたるものではありません。あれもいつ見納めになるものやら」
見納め、と顕房は聞き返した。
「この屋敷は抵当に入っているのです。今回の事で破断にはなりませんでした。けれども首尾よく抵当を外す事ができたとしても、この家を保つことができるかどうか」
顕房は、好古の発言には返答しなかった。彼は話題を変えようと試みているのか、辺りを見回していた。すると何かに気づいたのか好古の方を振り返った。
「あの大きな穴は、何です。蔵の側の」
「……植樹です」
「何の木を植えるのですか」
「ええ、そうですね。まだ決めかねております」
好古は動揺した。まさか死体を埋めるために事前に掘ったとは答えられない。やむなく、植樹の為と答えるのが精一杯だった。そんな彼に助け舟を出したのは顕房だった。
「しかし、こうしてみると貴族とは因果なものですね」
え、と好古は聞き返した。
「本朝に限らず、世界各国の貴族たちは皆、造園をしたり、馬を育てたりと生命の手入れをします」
好古は何か答えたほうが良いと思い、少ない西洋の知識を絞り出した。余裕を装う必要があった。
「聞けば薔薇の品種改良する貴族がいると聞いたことがあります」
「そうですね。それは何故か、考えたことがございまして。私たちの先祖はかつて主として領民を支配していました。そして言葉一つで、他人の命を左右することができました。しかし、今では法律で私たちの権力は制限されました。それ故、在りし日の権力を懐かしむように動植物の生命を手入れしているのです。あるものには肥料を与え、あるものは間引く」
「高砂侯には、その生命の手入れですか、何かなさっているのでしょうか?」
顕房は笑顔で返した。好古は何となくその笑顔に冷たさを覚えた。
「失礼、寄り道をしてしまいましたね。本題に入りましょう」
好古は虚を突かれた。これが今源氏のの戦術なのか。
「宗秩寮の者として、一応事件のことをお伺いしたいのです。お手数ですが、お答えいただけると幸いです」
「いえいえ、お気遣いはご無用に」
好古は、顕房に着座を促した。
「それでは事件についてお伺いしてもよろしゅうございますか」
と顕房が丁寧に尋ねた。
「ええ、もちろん」
顕房は鞄から、いくつか書類を取り出した。
「新聞紙上によれば、あの日の早朝、御当家の蔵の中で、運転手の山村清太郎の死体が見つかったそうですが相違ございませんか」
「一つ違うところがございます。山村は先月暇を出しました。ですから元・運転手です」
好古は、山村と巨勢家の関わりが既に無いことを強調した。失礼、と顕房は答えながら、持参した書類に万年筆で訂正をした。
それでは、と顕房は書類に目を通しながら、話始めた。
「こちらも情報が錯綜しているのか、よくわからない点があります。まず、確認したいのは山村の死因は頸椎骨折と伺っておりますが誠でございますか?」
「私は法医学については不得手でございまして、頭を打ったとは聞いております。当家の長持に、足を滑らせた拍子に、頭をぶつけたそうです」
そうですか、と顕房は書類をまた見た。好古にとっては、口頭試問を受けているような気がした。
「よく分からないというのはそこなのです。警察の話によれば死体発見の前日、夕食の席で御当家の皆様は銃声を聞いた、と聞いております。そして現場には拳銃が一丁。ええ、確か」
「桑原の32口径、6連発のものです」
「回転式ですね。よく御存じで」
「倅の形見です」
顕房は書類を見ながら、「ああ、そうか」とつぶやいた。恐らく、書類には倅の事が記されているのだろう、と好古は思った。
「拳銃を持っていた、にも関わらず頸椎骨折というのがよくわからなかったのです。山村は拳銃によって死んだと聞いておりまして、てっきり撃たれた、もしくは自分で撃ったものと思っていたのですが、どういう理由で頸椎骨折に至ったのか、警察から聞いておりませんか」
「それでしたら、拳銃の暴発と聞いております」
暴発、と顕房は聞き返した。
「はい。山村は私の拳銃を勝手に持ち出して、蔵の中に潜み、拳銃を誤って撃ってしまった。それに驚いて足を滑らせて長持に頭を打ったと、聞いております」
「その銃声というのが、御夕食の時のですね」
はい、と好古は答えた。自分のアリバイはこれで立証された、と好古は思った。
「すると、気になることがございまして」
気になること、と今度は好古が聞き返した。
「拳銃は6連発ですが、実は2発分ないのです。」
好古は、悲鳴を上げそうになった。これでは、自分のアリバイが成立しない。なぜなら、母屋にいる時の銃声で山村が死んだことにならなければ、アリバイが成立しない。2発目では、犯行現場に居た時刻だった。顕房は、そのまま話をつづけた。
「1発目の銃声が母屋に聞こえているにも関わらず、2発目の銃声を誰も聞いていないのは不可解です。もちろん2発の弾痕も蔵の中に残っております。警察の実験によれば、蔵の扉が銃声の有無につながったと聞いております。すなわち、夕食の時の銃声の時は蔵の扉が開いていた。しかし、2発目。この時は扉が閉まっていた。なぜ扉が閉まっていたのか」
この時、好古は天啓を得た。
「何も2発目とは限らないのではないですか」
「2発目と限らないとは」
「1発目かもしれないのです。今思い出したのですが、以前蔵の中で拳銃を試し撃ちしたことがあるのです。その時蔵の扉を閉めてましたから、誰も聞いていない。あの日、発射されたのは1発だけなのです」
好古は、ずいぶん前のことだと思います、付け加えた。
「何発ほど撃たれたのですか?」
「全部、撃ちましたので6発だと思います」
「ほう、巨勢伯はそのようなことをなさったのですか」
「ええ、恥ずかしながら。何せこの家には人手が少ないですから、自分で護身をしなければなりません。いざとなった時、拳銃を使えなかったら事ですから。辻褄は合いますか?」
「ええ、ぴったり合いました。」
好古は安堵した。切り抜けたと思った。それでは、と好古は話を切り上げようとした。しかし、顕房は書類に目を落として「もう少しよろしいでしょうか」と尋ねた。好古は動揺を隠す為、鷹揚にふるまうことにした。余裕を見せねばならない。
「どうぞ」
「事件当日の皆様の動きについてお伺いしたいのです」
「といいますと」
「御夕食の時に、銃声をお聞きになったとおっしゃいましたね。その後のことについては新聞には載っていないものですから」
「畏まりました。夕食後についてお話しします。銃声が聞こえた後、私たちは屋敷の見回りをすることにしました。私たちといっても私と執事の2人です。妻と娘、女中の3人は、母屋に残りました。あの時は、蔵の中で事件が起きたとは思いもしなかったので、2人で門が閉まっているかどうか確認しただけでした」
「蔵には異変には気づかなかったのですね?」
「気づきませんでした。何せ、蔵には何も有りませんので……」
「蔵にはいつも錠前はかかっているのですか」
「いつもかかっております」
「しかし、山村は侵入していた」
「大方、母屋に侵入した時に拳銃と一緒に鍵をくすねたと思います。私の抽斗の中に有りましたから。それに、屋敷で起きたとは思わなかったものですから、中までは確認しなかったのです」
好古は鷹揚に振る舞ってはいたものの、やはり喉に小骨が刺さったような気がしていた。しかし、顕房もまた表情に変化がなかったからなにもないものと思い、また鷹揚にふるまった。自分なりに作り上げた筋書きどおりに話せばよいのだ、と言い聞かせた。
「それで山村の死体を見つけたのは誰ですか」
「執事が見つけました」
「園部ですか?」
「ええ」
「園部はなぜ、蔵の中を確認しようとしたのでしょうか」
「それは……どういう意味で?」
「巨勢伯は、蔵には何もないとおっしゃった。にもかかわらず園部が蔵の中を確認したのに、合点がいかないのです」
「いやいや、何も真に空というわけではありません。価値の有無は分かりませんが、什器もございますし、礼服もございます。貧乏とはいえ娘の嫁入り道具ぐらいは用意しているのです。新田には伝えておりませんが、それなりの由来のあるものもあるのです。それに……」
好古は言葉を詰まらせた。それに、と顕房は先を促した。
「山村の死因となった長持だって、あれは御一新の後、私が幼少の時分、先帝奠都の折に父と共に持ってきた由緒あるものです。娘の嫁入り道具に持たせようと思っていました。あんなことがあっては」
好古は在りし日を思い出しながら、怒りをにじませていた。あの由緒ある長持を九州に運び入れ、血筋の貴さを見せつけてやりたかったのだ。
「それはお気の毒なことで。ところで、貴方は死体を見たのですか」
顕房は、好古の気持ちに共感していないのか、質問を続けた。
「見ておりません」
「見てない。園部からどのように報告を受けましたか?」
「山村が蔵の中で死んでいる、とだけ」
「それであなたはどうしましたか」
「園部を警察へ遣りました」
「そして警察が到着したのですね」
「そうです」
「その後、死体は確認されませんでしたか」
「はい、園部が全て対応しました。聴取に応じただけです」
「そうですか」
顕房は鞄から別の書類を出し、また見比べた。
「御当家の事情についてお伺いしたいのです」
「それは、貴方がよくご存じなのではないのですか」
好古は、彼なりの皮肉を込めて言った。顕房個人というより、宗秩寮への返礼のつもりだった。
「確認のためです」
顕房はそういうことには慣れているのか、態度の変化を見せなかった。彼は書類を見ながら、質問をし始めた。
「御当家の当主である巨勢伯は、今の奥様で2度目のご結婚ですね」
「ええ」
「先の奥様との間に御子息を、今の奥様との間に御息女・鏡子様を儲けられましたね。奥様2人とも、財閥の令嬢だとか」
「ええ、うちのような家柄ではよくあることです」
顕房は、好古の自虐に返事をせずに書類を確認した。
「御子息は先の大戦で戦死、御息女は学校に通われているそうですね」
「そうです」
娘の話に向かっている。好古は嫌な気がした。
「御息女には交際している方がいらっしゃいますね」
好古は鏡子に交際相手がいることを答えられなかった。相手を知っているからだった。ただ沈黙するしかなかった。
「答えられないなら、よろしい。運転手の山村ですね。既にわりなき間柄だとか」
この男は、自分を怒らせようとしている。このような家の恥を晒されても忍耐を強いなければならぬ自家の家格の低さを、この時ほど恨んだことはない。
「存じ上げません」
「では、貴方が答えやすい質問にしましょう」
顕房は書類を確認した。
「貴方は日清日露の両大戦で利殖に成功されたそうですね。一時期は車をお持ちになり、妾を囲っていたとか」
「昔の話です」
「そう、昔の話。あなたはその後、不動産購入で詐欺にあい相当な借財を作られた。その貸主が悪名高い新田吉蔵ですね。」
「ええ」
「その新田が、九州の炭鉱主を紹介したのですね」
「そうです」
「貴方は承知しているのですか」
好古は沈黙した。
「娘が幸せになる方を、親としては支持したいと思います」
「それでは御息女が幸せになるご提案を差し上げてもよろしゅうございますか?」
「ほう、それはなんですか」
顕房は、好古を見据えていった。
「貴方が御自害なさることです」
四
「それは、いかなる意味ですか。宗秩寮の人間は侮辱が許されるのですか」
「巨勢伯、貴方は嘘をつかれていますね」
好古は、切っ先を突きつけられた気がした。
「最近、拳銃の弾を買いましたね。しかも小切手で。銃砲店の調べはついております」
好古は「買い物」など慣れないことをするものではない、と思った。小切手で足がつくとは思わなかったのだ。
「拳銃は6発。うち4発残っていて、2発無くなってます。ともに2発の弾痕が蔵の中に残されています。第1発目の銃声は母屋まで聞こえて、第2発目は誰も聞こえなかった。すなわち、扉は閉ざされた状態で撃たれたのです」
「先程も申しましたが、あれは1発目です。2発目だとおっしゃるものは過去に私が試し撃ちをした時にできたものです」
「先程、6発撃たれたとおっしゃいましたね。過去のもの1発分残して、5発分はどこに消えたのでしょうか」
「大方、園部に塗り直させたのでしょう」
「間違いございませんか」
「……ええ」
「それだと、おかしいのです。過去の分が1発残っている。その上、貴方は前日に6発購入された。それを装填した。それを山村が盗んだ。山村が1発暴発させた」
しかし、と顕房は話を続けた。
「弾痕は2発分あります。しかし、拳銃に残っているのは4発です。7引く2は5ですが、本件では7引く2は4です。1発分足りないのですよ。1発分、どこにやったのですか? ご提出願えますか」
好古は必死で考えた。警察になんと答えて切り抜けたか思い出せなかった。
「黙ってらっしゃるようだが、我が国の科学力でもあの弾痕に撃ち込まれた弾が古いか新しいかぐらいは分かりますよ」
さらに、と顕房は続けた。容赦のない男だ、と好古は思った。
「貴方は蔵に異変を覚えなかった、蔵の中には入っていない、死体も直に確認していないとおっしゃった。相違ございませんね」
「ええ」
「それだと、おかしいのです」
「なぜ」
好古の声は震えていた。自分の失態云々というより、なぜ眼の前の男はこうも容赦なく人を追い詰められるのか、恐怖を覚えた。
「まず蔵に異変を覚えなかった。これがおかしい。御当家の蔵の錠前は南京錠。すなわち中に誰かが入っていたら、内側から南京錠をかけることはできないはずです。ということは外側からでも蔵に異変があるとわかったはず。あなたは覚えがないといった」
あの夜、蔵の中に入ったのはそれがきっかけだった。にもかかわらず好古は、言ってはいけないことを眼の前の男に言った。
「また長持に頭をぶつけたとなぜわかるのですか。警察の記録によれば、死体には流血がなかったそうです。仮に死体を見ていたとしても、それが長持に頭をぶつけていたかは分からないはずです。心臓を患ったからかもしれない。しかし、なぜ巨勢伯に山村の死因がおわかりになったのか? 法医学に不得手な貴方が。すなわち貴方は山村がどのように死んだのかを直に見ていたのです」
見てきたかのようにこの男は言う。確かに山村を突き飛ばして殺したのは自分だ。
「事故だったのです」
好古は、無い頭を振り絞って作戦を変更した。決して動機を悟らせてはいけない。
「あの日。銃声がした後、高砂侯のおっしゃるように南京錠が外れているのに気づき、蔵の方まで確認していたのです。そして中を覗きました。すると山村が腰を抜かしておりました。私たちは、この時扉を締めたと思います。山村は拳銃を再び手にしようとしました。それを止めようと、はずみであいつを突き飛ばしたのです」
「それで、第2発目はいつ発射されたのです。今の話では第2発目が出てきていません。また蔵の側の穴の話も出てきていません」
慣れないことはすべきではない。不動産も、買い物も、殺人も。「詰み」である、と好古は覚悟した。
「巨勢伯、貴方は確かに真実をおっしゃった。しかし、全てではない。」
好古の眼に、顕房の能面のような無表情な顔が焼き付いた。
「私の想像が正しいか否かは巨勢伯にお委ねします。一つ聞いていただきたい。貴方はご存知でしたね。扉を閉めていれば、蔵の中で拳銃を撃っても外に音が漏れないことを。そして、事件前日に用意された実弾6発。さらに外の穴。植える樹木を決めていないのに掘った穴です。他にも用途があるはずです。そこから考え得るのは」
謎解きを披露するのはさぞ快楽であろう、と好古は思った。容姿、家柄、知能にも恵まれ……ここまでくると諦めを覚えた。
「巨勢伯、山村を殺そうとしていましたね。もちろん、計画的に」
好古は観念した。せめてもの抵抗に沈黙を通した。
「ここからは私の想像ですが、蔵の中で山村を射殺した後、外の穴に葬る算段だったのでしょう。どのようにおびき寄せたのかは分かりません。しかし、山村はまんまと貴方の言う通りに蔵の中に入った。あらかじめ錠前は外していたのでしょう。しかし手違いが発生した。山村が拳銃を盗み出していたのです。そして彼は御夕食の時に、何らかの弾みで暴発させた。そして貴方には偶然にもアリバイができたのです。ですが、このアリバイは大したことではありません。本当の事件は第2発目の時、すなわち貴方と園部が見回りの途中、蔵に入った時に起きたのです。3人の間で何があったかは想像に難くない。大方、山村は拳銃で2人を脅して交渉を迫ったのです。交渉で得たいものは何か。金銭ではない。そんなものはこの家にはありません。では何か。他ならぬ鏡子さんです。山村とわりなき間柄の。恐らく脅しに1発、撃ってみせたのでしょう。それが第2発目です。そして貴方は先程、言ったとおりに空きを突いて、突き飛ばした。そして貴方と園部は、第1発目の時に事が起きたように口裏を合わせ工作したのです」
「なぜ、お分かりに」
「それでは貴方はお認めになるということですね」
好古は、全てを話すことにした。最初からこうするべきだったかもしれない。顕房のような人間をもっと早くに知って、もっと早くに頼っていれば、事は大きくならずに済んだような気がした。
「娘と奴の手紙を見たのがきっかけでした。2人は心中するつもりだったのです。今生で添い遂げられぬなら、あの世でと。好きな人同士で結婚するという価値観が世間で流行っているそうでございますが、しっかりとした身元の男と結婚して欲しいと願うのは悪いことでございましょうか。九州の炭鉱主の元に行かせるのは不安ですよ。しかし、財産のない男に嫁がせるよりはましですよ。この心中を食い止めるために、あの男を殺すことにしました。蔵の中で撃ち殺して、穴に埋める予定でした。しかし、誤算が起きたのです。まさか、奴が拳銃を盗み出していたとは思いもしませんでした。第1発目の後、蔵の中に入った時、奴は拳銃を持ってニタニタと笑っていました。鏡子を渡せと言いました。私は拒みました。そしたらあの男は、第2発目を撃ったのです。一家皆殺しにしてやると言いました。何とかせねばならぬと思い、あらんかぎりの力を振り絞って、奴に体当たりしました。多分、そうだったと思います。そしたら、後は、ご存じの通りでございます。娘には当日、抜け出せないように睡眠薬を盛りました。」
好古は憔悴しきっていた。家の恥ーー自分の恥ではあるがーー晒すのは非常に体力が要る。
「先程の『御自害』というのは、具体的には? 巨勢家はどうなります? 」
自分が自害することでどういう利益が宗秩寮にあるのだろうか、せめて死ぬ前に知りたかった。
「巨勢伯、所詮、貴族の気持ちは貴族にしかわからないものです。貴方の純粋な願いや苦悩など、庶民の前では憂さ晴らしの種になるだけです」
顕房は、薬包紙を差し出した。
「これを使えば、我が国の科学力では、病死と判断されるでしょう。全ては御息女のご縁談のためです。後事はすべて私にお任せ下さい。巨勢家は必ず守ります。宗秩寮の人間である前に、同族を守りたいのです」
「ご厚情痛み入ります。それで十分です」
(了)
